クリティカルな思考
04/29/2019 15:50
生徒が真実を学び、原則を理解することはとても大切なことだとCAJは考えます。知識を詰め込むことよりも、物事を見分ける力、さらにはクリティカルに物事を捉える力を得て欲しいと願っています。全学年に渡ってこのような教育をしていますが、小学生と高校生では教え方に違いがあるのは当然のことです。
クリティカルな思考を具体的にどう教えるか、各学年の教師に尋ねたところ、興味深い答えが返ってきました。
以下は初等部の教師からの回答です。
1年生の算数の時間に、クリティカルに考えるように一生懸命教えていますが、とても楽しいです。同じ問題から二人の児童が違う答えを出したとします。私は、どちらが正しいとは言うことはせず、その代わりにこう尋ねます。「二つの違う答えが出てきたけど、なぜ答えが違うのか二人で考えて見て。」すると二人は、それぞれの考え方を説明し始めます。その結果一人が、時には両方が、「なるほど!」とひらめいて、なぜ間違ったかに気づきます。
もう一人の初等部の教師が、最近教室であった事を話してくれました。児童たちと話し合いの場を思っていたところ、思いがけなくも色々な話題に話が弾んだそうです。
教える時に気をつけていることがあります。それはいつも、児童は初めて耳にすることだ、という前提で語りかけることです。例えば、キリストの受難日である「Good Friday」。児童はこの日の意味をよく知っているはずですが、改めて聞いて見ました。すると色々な質問が出てきました。クリティカルな思考は、正当な疑問を持つことから生まれます。
児童1:E先生、どうして4月19日は「特別な日」なんですか?
先生:それはその日が受難日だからだよ!なぜ「Good Friday」という名前がついているか知ってる?
児童2:週末の1日前だから?
先生:違うよ。それは、イエス様が死んでくださった日を、私たちが忘れないように、呼び名をつけているんだよ。でも、普通、誰かが死んでしまったのなら、それは良くないことなのに、なぜ「good」と言うのかな?
児童3:あ!わかります!イエス様が私たちの罪を失くしてくれたから!
先生:失くした、と言うのはちょっと違うかな。失くした、と言ってしまうと、また見つけるかもしれないからね。イエス様は、私たちの罪を完全に取り去ってくださったんだね!
児童4:でも、クリスチャンでも時々罪をおかすことがあるでしょう?
先生:そうだね、でも、戦争みたいなものかな。たとえ戦争に勝利しても、まだ小さな戦いが続くことがあるよね。小さな戦いに負けることがあっても、戦争に勝利していれば、勝っているわけだよね?イエス様が十字架の上で死んでくださったとき、イエス様が戦争に対して勝利をおさめてくださったんだね。
児童4:てことは、僕たちがイエス様と一緒にいれば、勝っているってこと?
先生:その通り!でもね、もう戦争に勝利しているのに、それを知らない人たちが今でも戦いを続けているんだよ。まだ勝利のことを聞いたことがないんだね。
児童3:それは悲しいな。
聖書の授業の時だけ、クリティカルな考え方をしているわけではありません。とは言え、聖書的な原則を思いもつかないところで発見すると、大切なことが色々とつながっていきます。中等部の先生が、こんなことを書いてくれました。
異なる科目の授業で、教わる内容が重なっていると、生徒たちがクリティカルに考えていることに気づかされることがあります。例えば、社会科の授業でエジプトの神々のことを学習していたときに、聖書の授業でモーセのことを学んでいました。聖書の授業で紹介されたビデオでは、生徒たちはエジプトの神々について聞き、当時の人々が何を信じていたか、また聖書の神がエジブトの「神々」よりもどれほど優れていたか、ということを教えられました。生徒たちは、二つの科目で教えられたことをつなぎ合わせて、示唆に富む質問を投げかけていました。込み入った質問をしたり、深く考えたり、なんとか答えを探り出そうとしたりする姿勢から、私たち教師は生徒たちがクリティカルに考えていることがわかるのです。
高校生になると、クリティカルな考え方はますます進んでいきます。ある教師はこう話してくれました。
ディベートという手段を通して、高校生たちはクリティカルな思考を二段階で身につけます。まず教師が、賛否両論ある難しい課題を選んで、それに関する意見や立場を決めて、生徒たちに割り当てます。立場を割り当てられた生徒たちは、ディベートをすることにより、様々な立場の視点を検討し理解し始めます。(自分が同意しない立場を含めてです。)これが第一段階です。次に、ディベートが終了すると、自分が述べた意見や耳にした立場を吟味して、自分の考えをより明確にしていきます。これが第二段階です。
教室を出てからでも、クリティカル思考は実践されています。カウンセラーの一人がこう教えてくれました。
メタ認識-自身の思考を思考する手段を通じて、生徒たちが自己を探求している姿を、カウンセラーとして目にすることがあります。自己表現、自己信条、神観、世界観を吟味することで、人は真実、変化、成長へと目を向けるのです。
日本と世界でキリストに仕える生徒を育成するとは、次のような分野の訓練を含むと考えます。児童生徒に疑問を投げかけること。クリティカル思考をすること。課題を探求すること。多岐に渡る視点で物事を捉えること。戦略を考え、事柄の関連性を見極めること。CAJではこれらのことが、すべての学年の多種多様な教育場面で見られています。それはとても喜ばしいこと、また感謝なことだと思っています。